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恋人岬の伝説
「恋人岬」…旧来より男女二人が互いに鐘を鳴らし、その愛を確認した場所として伊豆市の廻り崎が民話に語りつがれていました。これにあやかって観光客が増加した事から、同市は1983年5月に廻り崎の地名を恋人岬に改称し、現在は恋人たちの聖地となって、多くの恋人たちがその恋の成就を願って訪れます。
ここにはラブコールベル(愛の鐘)と呼ばれる鐘が設置されており、この鐘を3回鳴らすと恋愛が成就すると言われています。
また、現在は金の鐘(俗称 幸せの鐘)と呼ばれる鐘も設置されており、こちらも鳴らした者は愛がかなう、または幸せになれると言われています。この金の鐘は伊豆の恋人岬がグアムの恋人岬と提携関係を結んだ際に設置したものです。 同様にグアムの恋人岬にも伊豆の恋人岬から送られた銀の鐘と呼ばれる鐘があるそうです。こちらにも同様の言われがあり、伊豆、グアム双方の鐘を愛し合う二人共が鳴らすと、この上ない幸せが訪れるとされています。 双方の鐘を鳴らした場合に関しては、グアムの島内観光案内で日本人観光客に対して積極的に解説されているそうです。
ちなみにこの鐘、今年8/11の地震で、一部が壊れているそうですが、その後どうなったのでしょうか…心配です…
昔々…恋人同士だった私ども夫婦は、当時その恋の成就を願ってこの場所を訪れ、願掛けしたものです(笑)…その甲斐あってか…恋は成就し、現在に至るわけですから〜(*^^)v
恋人岬にまつわる民話
土肥金山が最盛期だった遠い昔のこと。土肥屋形の集落(現在、花時計のあるあたり)に、福太郎という漁師があった。福太郎は年老いた両親をかかえ、小舟で朝夕漁に出ていた。 一方、小下田の米崎という集落には、およねという娘があった。およねもまた老いた両親に代わり小さな畑を耕して細々と暮らしを立てていた。福太郎とおよねは土肥の朝市で出会い、たちまち恋におちた。しかし福太郎の住む土肥の村から、およねの住む米崎までの道のりは遠く、険しく、互いに老いた親をかかえる身でもあったので、二人が度々逢うことはかなわなかった。 福太郎に出会って以来、およねは毎日近くの神社に詣でて願をかけた。雨の日も、風の日も、きっと福太郎と結ばれますようにと、およねは願い続けた。そんなある日、いつものように願を掛けていると、どこからともなく声が聞こえてきた。 「およねや。今ここにふたつの鐘を授ける。福太郎とひとつずつ持ち、互いの愛を伝え合うがよい。」 驚いたおよねが目を開けると、そこにはふたつ、寄り添うようにして鐘が置かれていた。神さまの声に違いないと思ったおよねは、その鐘を大事にかかえて福太郎のもとへと向かった。福太郎は、およねの話を何ひとつ疑うことなく聞いて鐘を受け取り、漁に使う小舟のへさきに取りつけた。朝とタ、福太郎はおよねのいる米崎沖を通って黄金崎まで漁に出ていたので、およねは毎日その時分になると、海を見渡せる岬に立って、授かりものの鐘を三度鳴らした。それにこたえて福太郎もへさきの鐘を三度鳴らした。逢いたくても逢えない二人は、このようにして互いの愛を伝え合った。視界の悪い霧の日には、およねの鐘が灯台の役目をして福太郎の命を救ったこともあったという。 いつしか二人の恋物語は、米崎の村人の間でも評判となっていた。それから二人は、村人の協力もあってついには結ばれ、仲睦まじく、いつまでも幸せに暮らしたという。
コメント
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福耳2009/10/26 20:54恋人岬にはそんな民話があったんですね~☆
恋人岬には昔、今の主人と行って鐘を鳴らしました♪
私達夫婦も成就しちゃいました(*^^*)
地震で壊れてしまった鐘、心配ですね…。
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なおくん2009/10/26 21:10あら~!…やっぱり成就率高いのでしょうか?(*^^)v
こちらの方々も行くんですね!…私、当時東京にいましたので~…東京からだと近いですしね~…
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